造ること

名建築巡り

最近、”名建築で昼食を”というドラマが結構面白かったです。ちょっとしたショートドラマで毎回都内の名建築を訪れて食事をするというものでした。なかなかマニアックな視点での解説付きで美しい近代建築を見学します。都内に住んでいるし近くにあることは知っているのですが、意外にじっくり見学をしたことがなかったので最近あらためて足を運んでみたのですが、やはり素敵でした。

ここ数年はオリンピックイヤーでもあり、新しい施設がこれでもかとオープンしていて私自身も訪れてみてはいて、新しい発見や勉強になることは多いのですが何か物足らない感覚はありました。で、あらためて名作と言われる建築を訪れてみると何となくですがそれが何なのか感じました。

細部の造形

今の建築では既製品に溢れていて、それらをいかに組み合わせるかという作業が大半を占めています。もちろん見せ場となるとこにはその設計者のオリジナルのデザインがあったりもしますが、いろいろな制約のもと制作されている感じはします。目黒区総合庁舎や国際文化会館など訪れてみて思ったのは細部のディテールまでオリジナルで一から考えられているのがわかります。階段、手すりや窓枠、サッシ、巾木、細かいところまで既製品らしきものはほぼありません。その時代はまだそういう製品がなかったからといえばそれまでなのですが、そういった細かいディティールの部分にそれぞれの設計者の個性が色濃く見え、全体的な美しさがそういった細かい部分の積み重ねで成立しているのかと、その時代の建築家の仕事の凄みを感じました。今の設計行為は選ぶことが多くを占めていて、”造ること”が少なくなっているんだろうなという印象です。

国際文化会館 手摺

あと徹底的に細部まで作り込まれた造形を前にすると、表面の素材は加飾の必要がほとんど無いのかなとも。見た目の派手さや豪華さを狙うような表面の加飾によるプラスαが必要ない。その造形の美しさが際立っているのでもうそれに加えて何かする必要が無いのだろうと思います。

設計やデザインの行為がコンピュータ化し簡略化され効率が良くなってはいるのですが、その時間が造る行為にあてられていないのはなんでなんだろうかとか。まぁそれはコスト的な面でも掛けられる金額が違ってきているのだろうなとも。

旧いものに学ぶ

技術的には相当な進歩をしているはずなのですが、名建築と言われ残っているものには現代のものにはない凄みがあります。イタリアのデザイン事務所に勤めていた際にも何か考える時は先ずは過去の事例から徹底的にリサーチすることからはじめる、というのを思い出しました。先人の知恵を学びつつ現代的なエッセンスを加えること。ですね。 当たり前のように選んで決めていたものも機会があれば一から考えてデザイン出来ないか、本当にふさわしいものは何なのか、立ち返って考えてみると面白そうだし、より良いものができそうな気がします。

目黒区総合庁舎



wacca architects 一級建築士事務所
坊垣祐司



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