環境のこと

SDGs

近年よく耳にする言葉、SDGs。エス・ディー・ジーズとは、Sustainable Development Goals「持続可能な開発目標」のこと。サステナブルというのは4−5年前くらいから良く聞いていたような気もします。

サスティナブルとは、どんな意味を持つのでしょうか。英語で「sustainable」と表記され、「sustain 持続する」と「~able ~できる」に分解でき「持続可能であるようす」「維持が可能であること」と定義されていますもっと前から言われていて耳馴染みがある言葉といえば、詰まるところ「エコ」です。

Photo by Conscious Design on Unsplash

南方熊楠

日本で初めてエコという言葉を使ったのは南方熊楠という方でもう100年以上も前の話です。この南方熊楠は知の巨人と呼ばれ、数カ国語を操り「日本人の可能性の極限」といわれたりする人です。

彼は粘菌や菌類などの植物学を研究していて、さらに民俗学や天文学、哲学にまで及ぶ、あらゆる分野の研究をしていて、それらが系統だったひとつの世界としてみていたことで知られています。

明治の後半に神社合祀令で多くの神社や鎮守の森が取り壊されようとしていることに猛反対しました。それらは民俗学や地域の伝承、植物や菌類の研究をしていた彼にとって非常に重要な研究対象であった為、研究を一時中断してまで反対運動を展開、警察に拘留されたりもしました。その中で当時の県知事に送った一通の書簡の中に「生物と環境は相互に影響を与えあい存在するもの」=生態学という概念を、日本で初めて「エコロジー(その書簡の中ではエコロギーと記されている)」という言葉を用いて説明したそうです。この行動が世論を動かしたことで神社合祀令が廃止された。という出来事がありました。

自然や環境の保護がエコロジーとして語られることが多いのですが、彼にとっては「生態学」を指し、世界全体を“生態学”のひとつとしてとらえ、相互に関係・影響し合い成立していると考えていました。

つまりそれぞれが持続可能なように環境を考えることであり、今まさに言われているサスティナブルな考え方と同じです。

エコロジー

で、もう一度「エコ」という言葉を考えてみますと、そもそも”ECO”の語源は古代ギリシャ語のOIKOSです。”OIKOS”とは家族・家・集落・環境などを意味した言葉であり、”OIKOS-NOMOS”=「OIKOSに関する規則」が”Economy”「エコノミー」となり、そのしばらく後に”OIKOS-LOGOS”=「OIKOSの理論」が”Ecology”「エコロジー」にそれぞれ転じた言葉となったそうです。

今ではエコというと古い言葉のようなイメージになっていますが、そもそもの意味としてはECOとは経済と生態学の両方を指し、本質的な共存・共栄を考えるべきものとしての考え方でした。それがいつしか単なる節約という狭義な意味の言葉として使われるようになっています。

最近良く思うのは耳障りの良い新しい言葉を並べることが目的と化していて、新しい言葉を生み出して注目されることを重視しすぎて本質的なことが置いていかれているような気がしています。

これは環境問題のことだけではなく、あらゆることに言えることだと思います。耳障りの良い美しい言葉を並べることに注力しすぎて中身がついていっていないのでは、と思うものが増えているように見えます。言葉に出して示すこと”言語化”はもちろん大事ではあります。ただ実はやるべきこと、本質的なことは100年前から変わっていなくて、最も重要なのは実行しているのかどうか。だけのような気もしますが、それが一番難しい。

ものづくり全般にも言えることでコンセプトや考え方などもちろん重要なことではありますが、アウトプットするものがその綺麗な言葉だけにならないように、中身が伴っているのかどうか、ということは常に考えていたいです。




wacca architects 一級建築士事務所
坊垣祐司



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